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アメ村マンガ研究所

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日曜マンガ博物館(27)横山光輝と史記と故事成語①

日曜マンガ博物館
第27回





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横山光輝と史記と故事成語①


最近、日本語の乱れみたいなものを指摘する記事が目立ちますが、「言葉は生き物」であって、語源まで遡れば誰一人たりとも正しい用法でないわけで・・。その時代、場所で変化するものなのです。そして、ことわざや故事などのお話は時々で使われ方に変化はあっても、人間が考え、発した言葉である限り不変であります。今回はそのような故事で、とりわけファンの多い歴史書「史記」から横山光輝先生の著作「史記」(小学館文庫全11巻・各610円~680円)を使って面白がっていただきましょう。横山光輝先生の画だからこそ深く味わえる言葉もありますので。


まず史記ですが、中国前巻(紀元前3世紀~1世紀)に成立した歴史書で、編纂を司馬遷が行い、中国の神話時代から前漢までの網羅した歴史書です。特徴としては、今の年表のような「何年に誰かが何をした」という書き方でなく、当時国が乱立した中国の国々ごとの記述になっていたり、著名な人物ごとの記述だったりと、話が重複することがあっても、すごくわかりやすい方式を採用しています。

それではまず1つめ

①馬鹿

そうあのバカです。一般的には馬と鹿を見間違えるといった語源のように使われていますが、本当は恐ろしい語源が隠されています。中国を初めて統一した秦の始皇帝は、49歳で亡くなり、跡を次男・胡亥が継ぎます。しかし、この胡亥、偉大すぎる父とは違い政治に関心がなく日々酒と女(いわゆる酒池肉林)に溺れ、政治を宦官・趙高に任せっきりになっていたのです。その趙高は皇帝のように振る舞い、楯突く人間や存在をむごたらし拷問などで粛清していったのです。まだ、口に出して異を唱えるならまだしも、心の奥底に反趙高の思いを持たれたら厄介と考えた趙高はある日会議の場に「鹿」を連れてきました。そして会議に参列している者に言いました「これは馬である」と。参列者はコイツは何を言ってるんだとばかりに、あるものは「鹿だ!」と言い、あるものは「う、馬・・ですね」と言う。後日、趙高は鹿と答えた者を全て処刑してしまいました、家族、親戚も含めて・・。

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現在の使われ方と違いますが、正直者が馬鹿を見るという言葉に語源が意外と近いというのも面白い話ですね。鹿を馬と答えた人は後世的には馬鹿ですが、鹿と言い放った人は殺されてしまったので、そういう問いは正直勘弁してもらいたいものです。




②背水の陣

これもよく言う言葉ですね、もうあとがない、最後のチャンスといった時に使いますね。語源は先ほどの「馬鹿」と近い時代、紀元前204年楚漢戦争の一環として起きた「井陘の戦い」での一コマです。漢の大元帥・韓信は「国士無双」と言われる用兵家で、無敗と常勝を誇る名将でした。そして辺境の趙国を攻めることになったのですが、主君の劉邦に援軍を送るように命令され、自分の手足として無敗と常勝を誇る軍団を取り上げられてしまいます。戦前は戦力差で韓信は有利だったのに、このことがあり趙国20万対韓信3万という6倍以上の戦力差での合戦となりました。そこでその戦力差を埋めるべく韓信は一計を案じます。自分の部隊3万を河を背に布陣させ、後ろに河、前に20万の兵とあえてかなり不利な状況に追い込んで戦争を始めました。3万の兵は死に物狂いで戦い、20万の敵を破るという快挙を達成しました。もう死にかもしれないという決死の覚悟が優ったとされていますが、実は3万が河を背に布陣ということは敵も知っていて、敵方が油断して正面攻撃のみをしてきて、伏兵などの罠を仕掛けていたため総崩れになったということです。しかも、韓信は別働隊を派遣し、敵の本城を奪っていたのです。

このように、必死さで耐え忍び、策を用いて大逆転する。今使われている必死さだけでは玉砕してしまうので、勝つ算段をしてことに望む、そうでなくては勝利を得られない。本当に現代にも、いやこれからも真理であり続ける話です。


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この企画面白くなってきたので、来週は第2弾を引き続きお送りいたします。来週は「刎頚の友」と「奇貨居くべし」と「四面楚歌」です。お楽しみに。
by manga_do | 2012-09-23 00:00 | 日曜マンガ博物館 | Comments(0)
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